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お正月といえば芸能人はハワイに行っちゃうけど、お正月のしきたりってどんなの?

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お正月といえば芸能人はハワイに行っちゃうけど、お正月のしきたりってどんなの?

お正月にどうしてしめ飾りを飾るの?

お正月の準備といえば、玄関口や神棚などに付ける「しめ飾り」。
「しめ飾り」には、どんな意味があるのでしょうか?

これは、正月に年神様を迎えるための準備です。

自分の家が年神様を迎えるのにふさわしい神聖な場所であることを示すために、神社がしめ縄を張りめぐらせるのと同じように、家の中にしめ縄を張ったのが始まりといわれています。

元々は、「年男」と呼ばれる家長が、しめ縄を家の中に張っていたのだそうですが、やがて、そのしめ縄も簡略化されてきて、現在の玄関のしめ飾りや神棚のしめ縄になってきたのだそうです。

しめ飾りは、しめ縄にウラジロ、ユズリハ、ダイダイなどをあしらって作ります。
ウラジロは、常緑の葉であることから長寿を、ユズリハは新しい葉が出てきて初めて古い葉が落ちることから、次世代に家系を「譲って絶やさぬ」という願いを込めています。
ダイダイは、家が代々栄えるといったことから、縁起物として正月飾りに使われるようになったのだそうです。

でも最近は、これらが無く、鶴や亀など縁起物が付いているしめ飾りもありますね。

年男って、その年の干支の男の人のこと?

年男とは、もともとは、その年の干支の男の人のことではなくて、正月を中心とした行事を取り仕切る男のことを言うのだそうです
現在は本来の「年男」のような人はどこの家にもいませんね。
かつては、正月に限って、一家の行事のすべてを年男が仕切ったのだそうです。

年男は、室町幕府や江戸幕府では、古い儀式に通じた人が任じられましたが、一般の家では、主として家長がその任に当たり、しだいに長男や奉公人、若い男性が当たるようになってきたのだそうです。

年男は、正月が近づいた暮れの大掃除をはじめ、正月の飾りつけをしたり、元旦の水汲みをしたり、年神様に供え物をしたり、おせち料理を作るなど一切を務めたのだそうです。

おせち料理も年男が作っていたんですね。

年男って正月が近づくと本当に忙しい人だったんですね。
今言っている年男は、本来の年男でなくてよかったね。

門松って何のために立てるの?

今では一般家庭ではあまり門松は立てませんが、神社やデパートなどでは入口や門前に「門松」を立てますね。
玄関や門前の左右に一対を並べるのが一般的で、玄関に向かって左側の門松を雄松、右側を雌末と呼ぶそうです。
もともとは、新年を迎える際に、年神様が降りてくるときの目印として木を立てたのが始まりといわれているそうです。

松が飾られるようになったのは、平安時代からで、それまでは杉なども用いられていたそうです。
松に限られるようになったのは、松は古くから神が宿る木と考えられていたからで、平安時代の末期には、農村でも正月に松を飾るようになったといわれているそうです。

さらに、まっすぐに節を伸ばす竹が、長寿を招く縁起物として添えられたのだそうです。
でも、どうして竹は普通三本なんでしょうね。

現在のように玄関前や門前の左右に一対立てるようになったのは、江戸時代ごろからだそうです。
玄関や門前の真ん中に一つだけ立てておくのは邪魔だし、変だからなんでしょうね。

門松を立てておく期間は、一般的には1月7日までの松の内ですが、地域によっては5日、10日、15日とまちまちなだそうです。

門松は、12月28日ごろに立てるのがよくて、29日に立てるのは「苦立て」といい、31日ギリギリに立てるのは「一夜飾り」といって、嫌われるそうです。

管理人が住んでいる地域では、昔、門松の絵が描かれた2枚の紙が配られて、その髪を門松代わりに玄関に貼ったものでした。
今もこんな風習がある地域があるのかな?

鏡餅ってなぜ丸餅を二つ重ねるの?

もともと餅は、ハレの日に、神様に捧げる神聖な食べ物だったのだそうです。

ハレの日は、お祭りや正月、結婚式などのおめでたい日(晴れの日)だそうです。
特別な日に着る服を”晴着”というのはここからきているそうですよ。
ハレの日の反対派、ケの日(褻の日)で特別な日以外の日、つまり日常のことだそうです。

昔の鏡は円形だったため、鏡餅と言われるようになったようです。
大小二つ重ね合わせるのは、月(陰)と日(陽)を表していて、福徳が重なって縁起がいいと考えられたからといわれています。

大小二つ重ねられた鏡餅は、半紙を敷いた三宝に載せて、ダイダイ、ユズリハ、昆布などを添えて飾るのが一般的です。
ユズリハは新しい葉が出てきて初めて古い葉が落ちることから、次世代に家系を「譲って絶やさぬ」という願いを込めています。
ダイダイは、家が代々栄えるといったことから、縁起物として正月飾りに使われるようになったのだそうです。
昆布には子孫繁栄の願いが込められているのだそうです。

鏡餅用に、多くの家では年末になると餅つきをしたのですが、12月31日の大晦日につくのを一夜餅、12月29日につくのを苦餅といって、これらの日につくのを嫌ったそうです。
管理人の母は、12月28日につく餅を、金持ち(餅)といっていました。いわれは不明ですが…。

最近は、各家庭で鏡餅を作らずに、スーパーなどで、小さな餅が入った鏡餅を買ってくるのが一般的になっていますね。


正月中は1月11日の鏡開きまで、家の床の間などに大きな鏡餅を飾り、各部屋に小さな鏡餅を飾るのが一般的だそうです。
床の間に大きな鏡餅を飾るのは知っていたけど、各部屋にも飾るというのは知らなかったな。

おせち料理ってどうして作るの?

「おせち」とは、もともとは季節の変わり目の節句(節供(せちく))に、年神様に供えるための「お節」料理だったのだそうです。
「節」は、季節の変わり目という意味で、節句は、季節の変わり目に、無病息災、豊作、子孫繁栄などを願い、お供え物をしたり、邪気を払う行事の日です。

「節」は季節の変わり目という意味。節句は季節の節目に、無病息災、豊作、子孫繁栄などを願い、お供え物をしたり、邪気を祓う行事で「節供(せっく)」ともいいます。
人日(じんじつ・1月7日)、上巳(じょうし・3月3日)、端午(たんご・5月5日)、七夕(たなばた・7月7日)、重陽(ちょうよう・9月9日)の5つを五節句といい、中国から伝わりました。
通常は月と日が同じ奇数の日なのですが、1月だけは1日(元日)を別格とし、7日の人日(じんじつ)を五節句の中に取り入れているのだそうです。

したがって、節句ごとにおせち料理があったわけですね。

やがて、大晦日の年越しのときに食べられるようになり、年に何回かある節句のなかでも正月がもっとも重要な節句ということから、正月料理に限定していうようになったのだそうです。

当初は、松の内の間じゅう食べるものだったのですが、しだいに正月三が日に食べるのが通例になったようです。

おせちは、年神様に供えるための供物料理であるとともに、家庭の繁栄を願う縁起物の家庭料理にもなっています。
家族が食べるほかに、年賀に来るお客様にも出せるようにと重箱(お重)にお詰めておくのが一般的ですね。

最近は、家庭で作るよりもインターネットやお店から取り寄せる家庭が多いようですね。

初日の出をなぜ「ご来光」と呼ぶの?

かつて、初日の出とともに、「年神様」が現れると信じられていました。
年神様は、新年の神様で、「正月様」「歳徳神」(としとくじん)ともいって、年の初めに一年の幸せをもたらすために、降臨してくると考えられていたのです。

眺めの良い山、海岸などで、初日の出を拝みますが、高い山頂で初日の出を拝む際、山頂の近くの雲に映った自分の影が、まるで光の輪を背にした仏の像のように見えたため、仏の「ご来迎」との語呂合わせで「ご来光」と呼ばれるようになったといわれているそうです。

「ご来迎」とは、ご来光と同じ状態で仏の像に見える状態のことで、「ご来光」も「ご来迎」のことなんですが、初日の出の時だけ「ご来光」と呼んでるようです。

昔は、初日の出を拝む習慣はなかったのですが、明治以降に盛んになったのだそうです。

明治以前の元旦では、年神様を迎えるために家族で過ごして、「四方拝」といって東西南北を拝んでいたそうです。

明治時代になると、日清、日露戦争に日本が勝利することで、国家としての神道体制が強化され、戦意高揚と太陽の昇ってくるさまを重ね合わせて、急激に初日の出を拝む習慣が高まってきたのだそうです。

初日の出って、戦争と関係があったんですね。

初詣って、どこに行ったらご利益があるの?

年の初めにお参りをすると「めでたさ」が倍加するということで、新年を迎えると各地の神社・仏閣は、初詣する人で大賑わいになりますね。

大晦日の除夜の鐘を聞きながら家を出て、元旦にお参りをすませて帰るのを「二年参り」というそうです。
昔は、一年のケジメとして、一家の家長は、大晦日の夜から神社に出かけて、寝ないで新年を迎えるのが習わしだったそうです。
そのころ、家族は主として自分たちが住んでいる地域の氏神を祀っている神社にお参りをしていたそうです。

その後、伊勢神宮や出雲大社などの有名な神社に出かけたり、その年の干支によって年神様のいる方角(恵方)が縁起がいいということで、恵方にあたる社寺に出かけて初詣をするようになったのだそうです。

初詣は、本来は氏神様にお参りをするものなのですが、現在では、明治神宮、成田山新勝寺、川崎大師、住吉大社など、各地の有名社寺にでかけて初詣する人が多くなっていますね。

大きな神社の方がご利益があると思う人が多いんでしょうね。

若水って何?

元旦の早朝に、最初に汲む水を「若水」というそうです。

「若水」は、年神様に供えたりするのだそうです。
年頭に当たって若水を汲むことを「若水迎え」といって、できるだけ遠くに若水を汲みに行くほど吉とされ、水を汲む途中で他人に出会っても、話をするのは厳禁とされていたそうです。
若水を飲めば、一年の邪気を払うことができると信じられていたのだそうです。

若水は、平安時代の宮中では、立春の日の重要な行事だったのですが、やがて元旦の行事として庶民の間にも広まっていったのだそうです。

お屠蘇(とそ)とお神酒の違いって何?

お屠蘇(とそ)は、お神酒と同じで日本酒と思っている人が多いのですが、もともとは中国の唐時代から飲まれるようになった薬酒の一種だそうです。
屠蘇には、「邪気を屠(はふ)り、死者を蘇らせる」という意味があり、中国では漢方薬を大晦日に井戸の中につるして、元旦になって引き上げ、酒に浸してお屠蘇を作ったのだそうです。
そして、「邪気を払い、不老長寿になれる」薬酒として、新年になると年少者から順番に飲んだのだそうです。

お屠蘇は、日本には平安時代に伝わって、宮中の元旦の儀式として取り入れられ、やがて庶民の間でも正月の朝に、おとそとして飲むようになったのだそうです。

現在では、正月に本物のお屠蘇を飲む家庭は少なくなりました。というより、お屠蘇とお神酒を同じものだと誤解している人が多いような気がしますね。

どうしてお正月に雑煮をたべるの?

もともと雑煮は、年神様にお供えした餅を神棚から下ろし、それに野菜や鶏肉、魚介などで煮込んで作った料理で「雑煮餅」ともいいますね。
雑煮はもともとはお正月用ではなく、室町時代ごろの儀礼的な酒宴などで出されたのが始まりだそうです。
最初に雑煮を食べて胃を安定させてから酒宴に移る前菜だったものが、やがて正月料理になったのだそうです。

雑煮は、地域によって違いがありますね。丸餅だったり、各持ちだったり。
主として、関西では白みそ仕立ての雑煮で丸餅、関東ではしょう油仕立てで切り餅(角餅)が一般的です。

関西で丸餅を使うのは、年神様に供える鏡餅をかたどっているためといわれているそうです。

どうしてお正月にお年玉をあげなければならないの?

お正月といえば、お年玉ですね。
子供たちは、何よりも待ち焦がれているはず。
でも、どうして、お正月にお年玉をあげなければならないのでしょうか?

もともとは、お年玉というのは、年神様からの贈り物のことだったそうです。
年神様に供えた餅を下ろして、年少者へ分け与えたのが始まりといわれているそうです。

地域によっては、年神様に扮した村人が元旦に各家を回って、子どもたちに丸餅を配って歩く習わしがいまだに続いているそうです。
この丸餅が本来のお年玉なんだそうです。

お年玉は元々はお金じゃなくて、お餅だったんですね。

ちなみに、お年玉は年少者や自分より地位の低い人に贈るものだそうです。
お世話になっている人や目上の人、自分より地位の高い人に贈るのは、お年賀なんだそうです。

書き初めってなんのためにするの?

書き初めは、「吉書」とも呼ばれ、恵方(縁起の良い方角)に向かって、めでたい言葉や詩歌を書いたのが始まりだそうです。
全員同じ方向を向いて書かないといけませんね。

もともとは、宮中で行われていた儀式なんですが、江戸時代の寺小屋や明治以降の学校で習字教育が重視されるようになって、庶民の間にも書初めの習慣が広まったのだそうです。

いまでも、正月行事として、各地の学校や書道教室などで、一般的には1月2日に「書き初め」大会が行われ、一年の抱負や目標をしたためていますね。

なぜ元旦ではなく、1月2日の夜に見る夢が初夢なの?

一般的に、1月2日の夜に見る夢を「初夢」といいます。
初夢の内容しだいで、その年の運勢を占います。

なぜ、元旦ではなく、1月2日の夜に見る夢が初夢なのかということですが、昔は書き初め、稽古始、仕事始めなど、年初めの行事が2日であったため、一年のスタートとして、2日に見る夢を重視したらしいとのことです。

初夢にその年の運勢が表れるということで、だれもがいい夢がみられるようにといろいろな試みをした人がいるのだそうです。

初夢の信仰は、もともとは中国から伝わったもので、夢を食うといわれる獏の絵を枕の下に入れて、吉夢を見ようとしたという故事があるのだそうです。

日本でも、室町時代には、縁起の良い七福神を乗せた宝船の絵を枕の下に寝るようにしていました。
現代でも、聞きますよね。

江戸時代になると、めでたい夢というのは、「一.富士、二.鷹、三.茄子、四.扇、五.煙草、六.座頭」の順といわれるようになったのだそうです。
という説もありますね。

どうしてこの順番なのかは諸説あって、天下を取った徳川家康にあやかりたいとの庶民の願望から、徳川家康の出身地である駿河(現在の静岡県)の名物を順にあげたと言われています。
また、富士は日本一の山、鷹は賢くて強い鳥、なすは事を「成す」という説や「富士→無事」、「鷹→高い」、「茄子→成す」という説などがあります。

ちなみに「富士」と「扇」は形が末広がりで子孫や商売の繁栄を意味しており、
「鷹」と「煙草」(の煙)は、上昇していくので、運気上昇を意味しており、
「茄子」と「座頭」は、二つとも「毛が無い」ことから「怪我が無い」と家内安全を意味しており、お互いに対応しているという説もあります。
茄子にはトゲがありますけどね。

どうして1月7日に七草がゆを食べるの?

七草がゆを食べると、その年一年、病気にならないと言われています。
これは、江戸時代から一般に定着したのだそうです。

もともとは、中国で毎年、官吏昇進を1月7日に決めることから、その朝、薬草である若菜を食べて立身出世を願ったのが起源といわれているそうです。

お正月でおせち料理などおいしいものを食べるので、お腹を落ち着かせるために七草がゆを食べるんじゃなかったんですね。


中国の立身出世を願った七草粥が日本に伝わると、平安時代には宮廷の儀式として七草がゆを食べるようになり、江戸時代になると、「五節供」の一つである「七草の節供」に定められました。

現在でも、伊勢神宮では1月7日になると、内宮、外宮に若葉のかゆを作って供えるしきたりが残っているそうです。

七草がゆに入れる若菜は、時代や地域によって若干異なるのだそうです。

現在は、セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロの七草が一般的になっています。

ゴギョウは、ハハコグサ、ハコベラはハコベ、ホトケノザはタビラコ、スズナはカブ、スズシロは大根のことです。

でも、七草がゆが定着した背景には、信仰的な側面ばかりではなく、お正月のご馳走で疲れた胃腸を休めて、青菜の不足する冬場の栄養補給をするという、実用的な効用もあったのではないかといわれているそうです。

やっぱりね。

鏡開きは、どうして1月11日なの?

1月11日に正月にお供えした鏡餅を下ろして鏡開きをします。
当初、鏡開きは1月20日に行っていたのですが、江戸時代になって、徳川家光の忌日が20日に当たることから、商家が行っていた蔵開きと同じ11日に変更したといわれています。

鏡開きでは、神霊が刃物を嫌うため、包丁を使わずに手や小槌などで鏡餅を割り、雑煮や汁粉にして食べます。

昔の武家の家では、鏡餅を雑煮や汁粉にして、主君と家来たちがそろって食べ、商家でも主人と従者、家族と一緒に食べて、家族や主従の親密さを深めたのだといわれています。

小正月って何?小さい正月なの?

1月15日を小正月といいます。
1月15日の朝には小豆がゆを食べる習慣があったそうです。

「土佐日記」や「枕草子」などにも、小豆がゆを食べたことが記されているそうです。
小豆がゆを食べて、その年の豊作を祈願したのだそうです。

小豆は、米や大豆とともに、日本人の食生活に欠かすことのできない穀物で、中でも小豆のような赤い色の食べ物は、体の邪気を払うと考えられていたため、めでたい日などに、赤飯として供されてきたのだそうです。

ちなみに、1月1日から1月7日までを「大正月」「男の正月」(とくに年男が活躍するため)と呼ぶのに対して、
1月15日は「小正月」とか「女の正月」と呼んだのだそうです。

小正月には左義長(どんと焼)を始め、地方によっては、「なまはげ」「かまくら」などの行事が行われるそうです。

左義長って何?

左義長とは、小正月の1月15日前後に行われる火祭りのことです。
左義長は「どんと焼」「どんど祭り」などとも呼ばれています。
地域によっては「さいとう焼き」などと呼ばれてりる場合もあります。

この日には、正月に飾った門松やしめ飾りを、神社や寺院の境内などに持ち寄って燃やしました。
地域によっては、おさいとうというものを作って門松やしめ飾りを燃やす行事を地域で行っている場合もあります。

いわば、お正月飾りの後始末の行事なのですが、燃やすときの煙に乗って、新年に訪れた年神様が天上に返っていくと信じられていたのだそうです。

左義長では、棒の先に餅・芋・だんごなどを刺して焼いて食べたりする地域もあります。
門松やしめ飾りなどを燃やした火で焼いて食べると、その年は無病息災えあると信じられていたのだそうです。

なぜ、左義長と呼ばれるかというと、平安時代の宮中の儀式で三毬杖(さぎちょう)と呼ばれる青竹を立てて、正月に飾り物を燃やしたことに由来するという説や、鳥追い行事の鷺鳥からきているなどの説があるそうです。

藪入りって何?

江戸時代、商家に住み込みの奉公人(丁稚奉公ともいいます)たちは、毎年、1月16日と7月16日の2日しか休みがなかったそうです。
その2日の休みを「藪入り」といい、関西では「六入り」といったのだそうです。

藪入りとは、「奉公人を家に帰すこと」、つまり「宿入り」がなまったといわれていますが、定かではないそうです。

藪入りの日には、奉公人は主人からお仕着せの着物や小遣いをもらって、親元に帰ったり、芝居見物などを過ごして、年2回だけの休みを楽しんだのだそうです。

年2回だけの休みなんて、現在では考えられませんね。

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